入院して知った社会支える人々 8/16 71才
糖尿病で入院した時のことを語る投稿人。患者になってみて世の中のいろんな人々に
支えられて社会が成り立っていることがよく分かったのだそうだ。中でも、朝食前の病院
の廊下をさわやかに朝刊を売る声。
「このおばちゃんの声で院内が活気づく。」
71才の投稿人に「おばちゃん」と言われてしまうおばちゃん。この投稿の最後の方でも
「『ありがとう、お大事にネ』と気遣ってくれた新聞販売のおばちゃんからもパワーを頂いた
気がする」と、一度ならず2度までも言われているおばちゃん。結構なおばちゃんぶりなの
だろうとは思われるが、まさか投稿人、当人に向かって「おばちゃん、新聞ちょうだい」なん
て、言ってないだろうなあ。いや、言ってたな。多分。おばちゃんという人種は、どっからど
う見てもおばちゃんでも他人からそう言われるのを極端に嫌う人種なのだ。ましてや相手が
自分より年上のジイさんとなると・・・・。
ずいぶん前に、私がいた会社にいた人がどう見てもおばちゃんにしか見えないのに、オジ
さんにやはり「おばちゃん」と呼ばれ、めちゃめちゃ怒ってたのを見て驚いたことがある。「怒
るんだあ」と。そんなに怒るならもっと鏡を見ろと言いたいとこだったが、あまりの剣幕にオジさ
んも謝るしかなかったようだ。
おばちゃんもよく怒らなかったな。私なら怒るぞ。じいさんから「おばちゃん」と呼ばれるす
じあいはない。いくら何でも。
<オマケ>
連敗が続く巨人について、ヘンな見出し発見。
8/15(水) 5点差守れず G滅
5回表まで0-5で巨人が勝っていたのが、7回に高橋由のタイムリーエラー、高橋尚の押
し出し四球が飛び出して勝ち試合を自滅で落としたらしい。G滅・・・自滅・・・。座布団やっと
くれ!
8/16(木) 3連敗 いやな感G
説明不要。私の中でしばらく残るな。これは。
どんな境涯でも最善尽くすべき 8/18
63才
投稿人の生き方や世の中に対する考えを述べている。特に生き方については、(あえて
箇条書きにする)
* 何事も逆らわず、ありのまま受け入れたら気が楽だと思うようになりま
した。
てことは、何にでもイエスと言って従えるんだな。そりゃすごい。確かに、そんな風に開き
直れたら楽だろう。さすが年の功だ。
* 意見は持っていてイエス、ノーをはっきり言います。その方が後の
気分がすっきりします。
???さっきまで言ってたことと両極端だぞ。イエス、ノーをはっきり言えるんならさっきの
『何事も逆らわず』ということとまるっきり逆じゃないか。よく分からん。
* 矛盾するようですけれど、事と次第によります。
矛盾しまくりだ。事と次第によりイエス、ノーと言うのなら自分の意見は2の次ということ
になる。結局、事と次第によっては意見をハッキリ言うこともあるし、言わないで受け入れ
ると言うことか。そんなの、普通はみんなそうだろう。ここで言うことではない。
それと、投稿人は世界中には自分よりもっと環境も境遇も悪い人がたくさんいる、と言う。
その点、
「三度の食事が食べられて電化製品がそろっていて、水洗トイレが使え、
衣食住がまがりなりにも確保できる生活ならば、第一段階をクリアしたと思
い、一応の満足を感じなければいけないのではないかと」
投稿人・・・。知らないと思うがウチはまだ水洗トイレじゃないのだ。しかも、ここに越してきて
1年と4ケ月が経とうとしているが未だに慣れない。(涙)なのに、なんだ、その差別発言は。
そうか、私の生活は第一段階もクリアできていないというんだな。いいよいいよ、私ら下々は
第一段階をクリアすることを夢見て生きていくのだ。ふん。
一人の不心得でイメージダウン 8/18
68才
投稿人は、岡山市内を流れる旭川の堤防を夫婦でよく散歩するという。そこで、最近ゴミが
落ちていないことに気づき、夫婦で話していたところ「ちまた」の投稿で4人の中学生がゴミを
拾い集めていたことを知り、感心していたのだそうだ。
そして先日も散歩を楽しんでいたところ、妙な感触が。それは湯気の出そうな犬の落し物だ
ったのだ。そこで投稿人、
「このごろ皆さんよく始末をしていらっしゃるとばかり思っていましたが、置
き去りにする人もあるんですねえ。」
何と呑気な・・・・。投稿人、足にウ○チつけて「あるんですねえ」はないぞ。私も一度、会社
の駐車場でうっかり踏んづけたことがあるが、あの時の怒りとショックは未だに忘れん。靴につ
いたソレをアスファルトになすりつけながら歩き、その日一日気分が悪かったことを思い出し
た。今では、道端に落ちてるウ○チに細心の注意を払って歩いている。油断したらだめだ。
石だと思ったらダメなんだ!気をつけろ、投稿人!
墓地の草取りで戦没者を思う 8/19 73才
投稿人は毎年、お盆が近くなると墓地の草取りの依頼を受け、その作業をしているのだそう
だ。
「多くの墓に混じり、戦没者の墓が目につく。碑文を読むと結婚してすぐ出征、半年後に銃
弾に当たり死んだ通信兵。転戦し最後に自爆した若い航空兵、(中略)兵士がどのような思
いを抱いて死んでいったのであろうか。(中略)死者をどのような言葉で慰めたらよいのか言葉
に詰まる。」
そして、次に続く最後の一文がいい。
「『なにしとるね』という妻の声、われに帰り草取りにかかった。」
墓に思いを馳せている時間から、現実に引き戻される瞬間。この光景、目に浮かぶようである。
弟のような犬とずっと一緒に 8/23 24才
タイトルから分かるように、飼い犬への思いを綴った投稿である。この犬は昔はとても気が強
い性格だったそうだが、年齢のせいか半年前から目が見えなくなり、気弱にもなっているそうで
離れて暮らしている投稿人はとてもその犬を案じている。
それはいいのだが。
私自身、犬が苦手であり、飼ったこともないので犬好きの心理は分からない。だから余計に
不思議なのだが、いくら長年飼った犬とはいえ、犬を弟だと思えるのだろうか。
しかも、相手はすでに老犬。まあ、だからと言って「祖父のような犬とずっと一緒に」
とも言わないだろうけど。家族の一員、と言うのは分かるけどな。この件で「犬は弟だ!」と言い
きれる方、ぜひご一報を。
戸惑い疲れたパソコン操作 8/23
36才
投稿人の名前に見覚えがあると思ったのだが、この投稿人は(多分)7/18に私がツッコん
だ「投票所遠いが久々に行こう」を投稿した人だ。この投稿を読み返して頂ければ分かると
思うが、とても36才とは思えないような考え方の内容であった。その精神は見事にここでも
貫かれている。
投稿人は、とあるデパートでパソコンゲームを体験したらしい。ここで初めてパソコンに触
れたらしいのだが、悪戦苦闘し、何とかパズルを完成させたのだそうだ。しかし、
「マウスを持っていた右手と右腕がだるく、肩は凝り、コンタクトレンズを
入れている目もぼやけて見える。」
「マウスやクリックという言葉さえ理解できない」のは、まだ許そう。「画面上を動き回る白い
ものが、矢印ということにやっと気づき」も許してやろう。すごいけど。何と言っても初めてなの
だ。しかし、その後の疲れよう。まるで徹夜ぐらいした時の疲れだ。
もう一度言う。
この投稿は本当に36才のものなのか?投稿人の今後の投稿にも期待する。
祭り後のごみ 始末して帰って 8/23 58才
岡山の和気郡和気町で行われる和文字焼き祭りのこと。祭りは太鼓の演奏あり、花火あり
と投稿人は十分楽しめたようだ。しかし、その帰り道に、飲食した後のごみがあっちこっちに
転がっているのを目の当たりにし、悲しい思いがしたという。
「自分たちのごみは自分たちで始末して帰ったら、もっと心に残る楽しい
祭りになったのではないでしょうか。」
この結びの文は、誰に向けて書かれたものなのか。「もっと楽しい祭りになったのに。」平気
でそこらへんにゴミを捨てて帰ることができる人は、そんなことをしても心が痛まない人だと思
う。彼らはゴミを残して帰っても十分楽しい祭りになったはずだ。よって、これは投稿人自身
に向けられたものである。この場合、
「自分たちのごみは自分たちで始末して帰ったら、私のお祭りの思い出
も、もっと心に残る楽しいものになったのにと思い、残念でなりません。」
これはちょっと一人よがりか。じゃあ、これはどうだ。
「自分たちのごみは自分たちで始末して帰ったら、本当の意味でもっと
心に残る楽しいお祭りになったのではないでしょうか。」
ちょっと無難すぎかな。ま、警鐘を鳴らすということで。
心潤してくれるリンドウの一鉢 8/28 64才
この投稿は、「ちまた」でもたまに見かけることが出来る情緒あふれ、しかもその文章に思
わず惹かれてしまう投稿文である。
「用事を済ませたら本を買うつもりで楽しみに街に出かけて、本を買わない
でリンドウの鉢花を買ってしまった。」
という書き出し。誰もが経験したことがあること。これでつかみはオッケーである。
しかし、読み進めていくうちに、うっかりしてリンドウの鉢花を買ったわけではないということが
分かる。鉢を台所のテーブルに置いて飽きずにそれを眺めている投稿人。心は中学生の頃
に戻る。
『しらかば揺れる高原に、りんどう咲いて恋を知る』
その頃流行っていた歌のロマンチックな歌詞に、幼い心のままひかれていた投稿人は、
「リンドウの花って心に秘めて人を好きになるのが似合うような花だなと思
った。」
なんだかこういう文はとても好きだ。秋を感じる朝の風によく似合っている投稿であった。
暑い車に残す 小さな命危険 8/28 29才
「ちまたにツッコミ」を始めて4ケ月になるが、これほど腹が立った投稿文は今までなかった。
せっかく「リンドウ」で気分よくなっていたのに。そう思うとまたムカツく。
投稿人は、近所のとある大型スーパーへ子供と出かけたそうだ。買い物を済ませ、ふと1
台の車が目に留まる。そこには、エンジンを切り、窓も締め切った車が止まっており、その後
部座席には、まだ1才くらいであろう子供が汗をびっしょりとかいて座っていたという。
断っておくが、私が怒っているのはこの子供の親に、ではない。こんなことが平気で出来る
親には怒るエネルギーもない。
この投稿文は、その後最近多発するこういう事件を憂い、嘆いている。そして、最後の文章
。
「駐車場の警備員の方は見回って、店内アナウンスでもしたらよいのでは
ないでしょうか。」
投稿人・・・。問題はそこにはないぞ。その状況を見たあなたは、そのまま「かわいそう」と言
って帰ったのか?その子の親やその店の警備員に怒りをぶつけながら・・・。
この後、投稿人が店側にこのことを伝えたかどうかは書かれていないのでこれまたムカつく
原因の1つなのだが、そうやって見ていながら何もしない傍観者も問題なのは分かっている
のか?
この場合、店内アナウンスが出来るのは他でもない発見した投稿人だけだ。他の誰でもな
い。
バスの快適さをあらためて発見 8/29 55才
普段は自家用車を利用している投稿人はバスに乗り、その利便性、快適さにあらためて
脱帽したのだそうだ。
「広い車内。しばらくは一人というぜいたくさ。運転手と話も弾み」
客と話が弾んでいいのか、運転手。本当は気が散って迷惑なのに無理につきあってやって
いるんじゃないのか。確か、どこかで「運転手にみだらに、いやみだりに話しかけないように」と
いう注意をアナウンスを聞いたことがあるぞ。
私はその昔、通勤にバスを利用していて帰りのバスの中は決まって居眠りをしてしまい運転
手さんに「あんたここで降りるんじゃねえんかな」と起こされたことがある。関係ないけど。
ただ、最後の一文がよかった。
「メールに慣れ、あらためて手書きのよさを知った思いで、バスを見つめ
直してみた。」
確かに。メールをするようになって電話もFAXも手紙もハガキも減った。ペンを持つこともたま
にしかしない。たまに字を書くとあまりのヘタさ加減に自己嫌悪に陥るほどだ。漢字もかけなく
なってるし。(泣)