ミュージカルの取りやめ 残念 7/2
60才
チボリ公園が経営再建のため、アトラクションの一つでもあったミュージカルが本年度限りで
中止になるという。そのことで投稿人は、
「自称チボラーとしては大変残念に思う。」
チボラー・・・。そんな言葉があったのか。思い起こせばアムラーに始まり、ナオラー、シャネラ
ー、今はアユラーか。アムラー、シャネラーはまだ分かる。しかしナオラー、アユラーは何だ。
そう思う人も多いと思うが、他に言葉は見つからなかったのだろうか。飯島直子に浜崎あゆみ。
一体どこに「ラ」が入るスキがあるというのか。わからん。そう思えばチボラーはアリかも知れない
けどなあ。素直に「いちチボリ公園のファン」でいいじゃないか。ただし、「チボリ公園大好きッ
子」「チボリ公園大好き少女」「チボリ公園の小指」「チボリ公園我命」じゃなくて本当によかっ
た・・・・・。
子供たちから食事の「 贈り物」 7/4 59才
娘、息子から父の日と母の日のプレゼント、そして自分の退職慰労会として郊外のレストラン
で招待を受けたのだそうだ。リッチな雰囲気に心酔していたところ、自分の名前を書いた皿が
目の前に置かれ、「お父さんお母さんお疲れ様でした」と添え書きがしてあったという。感動
的ではないか。投稿人は、
「恩師の便りに『子供は親の後姿を見ていますぞ』と書いてあったことを思
い出していた。先生ありがとうございました。」
ここは先生にお礼を言う場面じゃないと思うが。しかもこれで投稿締めくくってるし。投稿文の
どこを探しても子供たちへのお礼の言葉が見当たらないし。え、もしかしたら照れくさかった
の?泣くなよ。バカだなあ。
水車の写真見て 60年前を回想 7/4 72才
前に新聞にて掲載された「足踏み水車と苗代」の写真を見て、子供の頃の想い出を投稿し
ている。農家で育った投稿人は手伝いで水車を踏んでいたのだそうだ。
「ある時、水車を踏んでいると祖父が『もうとうばあ踏んでくれ』と言いまし
た。」
「もうとうばあ」。何だ、「もうとうばあ」って。「もうとうばばあ」違うな。「もうろくばばあ」、これも違
う。大体、いくらなんでも自分の孫に向かって「ばばあ」とは言わないだろう。「もっと、うばあ」
の誤植か?「もっと」はアリだが「うばあ」はなんだろう。ずいぶん考えて気がついた。
そうだ。祖父や祖母が言う言葉だ。「もう」はそのままで「とう」は「十」だ。「ばあ」は「ばかり
」の意味。「あと10回ばかり(ほど)踏んでくれ」と言っているんだ!!やった。しかし、方言、
文字にしたらさっぱり分からんな。分からん人は聞いても分からんだろうけど。
妻に内証で畑へ ウリの成長喜ぶ 7/4 73才
投稿人は白内障の手術をして以来、奥さんに畑に出ることを止められている。それでも気に
なる投稿人は病院の帰りに、奥さんが留守なのをいいことに畑に寄ってみたのだそうだ。1
週間ぶりに見た畑はどの野菜も葉が茂り、特にウリがよく育っているようで、とても嬉しかった
らしい。この投稿、最後の部分がいいのだ。
「妻が帰って来た、「今日お医者に行ったの」と聞く。顔をしかめて「行きま
した」「どうだったの」「よくなっているそうだ」と答えたが話したくないことがあ
る。ウリが4本大きくなっていたことは黙っていた。」
まず、奥さんへの答え方がいい。最初は「行きました」と敬語のくせに、次の答えは「よくなっ
ているそうだ」なんていきなり横柄だ。想像したら笑える。そして最後の一文が効いている。ウ
リ?私のことじゃないぞ、言っておくが。
まめをつくるもトタン垣仕上げ 7/12 61才
使っていない畑をイノシシに荒らされるのを防ぐ防衛手段として、投稿人はトタンで囲いを
造ることにしたらしい。作業は夫婦二人と孫一人。それについて、
「退職しサンデー毎日の自由な二人がまごまごしながら、手にまめをつく
り(以下略)」
サンデー毎日って、もしかして、いや、もしかしなくても用は毎日が日曜日ってことか?この
ナチュラルな使い方、日常的に使っている言葉とみた。
「毎日大変じゃなあ」 (毎日大変ですねえ)
「いやあ、もう、ウチはサンデー毎日じゃけえ」 (いやあ、もう、ウチはサンデー毎日だから)
「サンデー毎日?あんたハイカラなこと言うなあ」
はっはっはっはっは。(←ドリフの笑い声
これで、気をよくしてそれ以来気に入って使っているに違いない。いや、別に、根拠はないが。