岡山活性化に独創性生かせ 3/2 61才
   
以前から、私自身、いつまで「岡山」=桃、マスカットなのか?と危惧を抱いていた
  そのままの投稿である。先日、新聞誌上で「岡山国体のマスコットの愛称が『ももっち』に
  決まった」と出ていた。それを見て私は「また桃がらみかい」とツッコまざるをえなかったのだ
  が、投稿人もその話題に触れている。投稿人曰く、

     「イメージキャラクターが桃太郎をデザインしたものだから当然と言えば
   当然のことなのだ」

      と書いている。
   そうか。もともと桃太郎をイメージしたものだったのか。(←初めて気づく私)と思ったが、
     その元になるキャラ自体、すでに『桃太郎』ということの方が問題ではないか!とすぐに気
     づいた。この投稿人、岡山=「桃」・「マスカット」的思考OKなのか?とあくまでも警戒しな
  がら読んでいく。しかし、ラスト。

      「岡山が注目されても、このチャンスをどう活かすか、それは自治体の腕のみせどころであ
     り、(中略)

     「いつまでたっても『桃太郎』や『マスカット』や『ままかり』的発想では進
   展は望むべくもない。」

    と締めているではないか。っておい。そう思っているのなら、最初でデザインキャラに桃太郎
    が選ばれること自体に目を向けてほしいのだが。しかし、ほかにいないのかな、キャラ。
  (考えること数分経過)

     いないなあ。だけど、だからといってすぐに「桃太郎」はやだけどな。やっぱり。 

  犬を最後までかう人を探す 3/4 小3
  
犬の散歩で知り合ったおばちゃん(と投稿人は書いているが年齢的にはおばあちゃん)
 のお話。そのおばちゃん、パピちゃんという3才の犬を飼っているのだそうだ。先日、そのおば
  ちゃんから「お姉ちゃんの家でパピちゃんを飼ってくれたらいいのになぁ〜」と言われたそうだ。
  そのおばちゃんは81才の一人暮し。最後まで犬を飼えそうにないので、元気なうちに新しい
 飼い主を探したいのだそうだ。しかし、投稿人の家にはすでに3匹も犬がおり、とても飼えそうも
   なく、もし飼い主が見つからなかったら保健所に連れて行かれると思って幼い心を痛めている
 ようなのだ。そして、最後までパピちゃんを飼ってくれる優しい人が見つかるといいなあ、と案じ
  ており、最後には

     「だれか、かいぬしになってあげてください。とおくても、お母さんにたの
   んでつれていきます。よろしくおねがいします。」

   と締めくくられている。
  これを読んで釈然としないのは私だけではあるまい。ばあちゃん、じゃなかったおばちゃ
    ん、子供相手だから、こんな風に真剣に受けとめ、本気で心配もしてくれるのだ。そもそも最
    後まで飼えないのを分かって飼い始めたのは自分自身ではないのか?
  3年も飼えばおおよそ一番可愛らしい子犬の時代に触れられてそれは楽しかっただろう。
  ハッと自分の体や年齢のことに気がつき、さすがにその後のことを心配しているところに現
     れた犬の散歩をいつもしている女の子。3匹もいれば1匹くらい、と思ったのだろう。

      安易だ。ハラが立ってくる。

     このことで私が投稿するとすれば、間違いなくこういう見出しがつく文章を書くだろう。

      「最後まで飼ってね おばちゃん」

     「自分でも探してね おばちゃん」

     ・・・・・・・・・・・・・・とかね。   

  一生懸命走ればそれでいいんよ 3/6 61才
  
タイトルを見た時、正直ギョッとした。最近見かけたとあるCMで、私自身引っかかっていた
    言葉がそのままタイトルになっていたからだ。
     投稿人の小学生の孫二人が、持久走大会を間近に控え、「何位を目指して頑張る」「何
    位が目標だ」と話していたら、もう一人、小1の孫が「順番はどうでもええもん。頑張って走れ
    ばそれでいいんじゃ」と言ったという。
     恐らく、先生からもそういうお話があったのだろうし、投稿人自身も不安そうな孫にそう言って
    励ましたこともあったのだそうだ。

     私がひっかかったCMというのは、幼稚園に通う男の子が、リレーで母親に「ぼくがんばって
    1番になる!」と言うのをその母親が「何番でもいいのよ。頑張れば」と優しく励ます、という
    ものだった。

      私はそこに引っかかったのだ。
      頑張って走ればそれでいい。
      では、何に対して頑張れるのか?
      持久走ならば、完走を目標にするのもいいだろう。それは分かる。
      しかし、どうせ走るのならば少しでも早く走りたい、と思うのが人間で、そう思うから頑張れ
     るのではないのか?
      ましてや速さを競う他、何の目的もなさそうなリレーなら尚更だろう。

     「何番でもいい」と思うなら、「頑張れ」というのはおかしいだろう。
      そうすると、こういうことになる。

      「何番でもいいのよ、走れば」

     これではイヤだろう、さすがに。  
      せっかく子供が1位になりたいと思っているのなら、「頑張ってね」と言ってやればいいの
     だ。もしなれなかったら挫折感を味わうことだろう。これも経験だ。中途半端に励まされても
     混乱するだけだと思うがな。
 

  バーベキュー煙 サクラ悲しげ 3/9 58才
      倉敷市のとある小学校で卒業生によるサクラの記念植樹が行われ、その下でのお花見
     は関係者にとっては感無量だろう、と投稿人。合わせて、いつもこの時季になると、バー
     ベキューの煙にいぶされて悲しげなサクラの花弁だと言う。そこで、投稿人から、バーベ
     キュー花見党
の方へお願いがあるそうだ。
      投稿人の知人の焼肉店ではいろいろな問題で売上が落ち込み、経営が苦しいと嘆い
     ているとか。そこで、

     「昔ながらのお花見弁当を復活させていただいて、バーベキューは焼
    肉屋さんで堪能されてはいかがでしょうか。」

     それって・・・。普通じゃん。てか、(バーベキューの煙とサクラの問題はおいておいて)
     あの桜の下で焼肉がしたいのであって、それができないのなら、多分わざわざ「この季節
     だから焼肉屋に行こう」とは思わないだろう。焼肉屋にしても、ここは勝負時でもあり、花見
     で弁当など食べられたら余計に売上が落ち込むだけなのだ。
      普段は焼肉をあまり食べない人でも、食べたくなる時期だろう。それは外で、桜の下で
     だから食べたい、と思うのだ。え、私?何も気にせず食べてるぞ。牛肉。今年も間違いなく
     外でバーベキューするだろうけど。そこに桜がなくても構わない。気分、気分。     

 

 

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