岡山駅の介添えマナー良かった 7/7 64才
   
JR岡山駅にて、車椅子に乗っている投稿人の母親が新幹線に乗る際に介添えの
       人に助けてもらい、その感謝の気持ちを投稿している。
        それはいいのだが、最後の締めの文章で。

        「めいが母を迎えに来てくれ、新潟で楽しい日々を送っている様子。」

       この状況がつかめないのだ。文面からすると、投稿人の母親は新幹線で新潟に行
        ったのだろうが、次の「めいが母を迎えに来てくれ」という部分。
         来てくれた、というのだから岡山に住む投稿人の元にめいが母親を迎えに来たとい
        うことか。
        しかし、迎えに来たというのに当人である母親は「新潟で楽しい日々を送っている様
        子」だという。
        ではなぜめいは「母を迎えに来た」のだろう。

        訳が分からない。

        それとも、めいが母を迎えに来てくれたものの、母親は新潟で楽しい日々を送ってい
       るようでまだ帰っていなかった、とのことだろうか。

        ではなぜめいが迎えに来る前にそれを伝えないのだろう。

        たった1文だが、いろいろな状況を考えたくないのに考えざるをえない内容だ。
        読み返してるか?投稿人・・・。

   新聞でいとこの元気な姿に再会 7/8 67才
   
子供の頃はお互いの家を行き来するものの、大きくなるにつれ互いの生活に追われ、
       めったに会う機会がなく、疎遠になってしまうがふと「どうしているだろうか」と思うことが
       あるという投稿人。
        そんないとこたちの写真が相次いで山陽新聞誌上に載り、元気そうな姿を見て安心
       するとともに懐かしく思った、と言う。
        そして投稿の最後の部分で
         「新聞の写真で2人のいとこに久しぶりに会った気分になり、うれしかった。」
        と書いているにも関わらず、すぐに続けて

        「新聞誌上で元気そうな2人の顔を見せていただいて喜んでいます。」

       この2文、表現は違うが内容はほとんど同じだと思うのだが。
         投稿文自体は短いので、「ちまた」の片隅にそれでも少し余裕を残して収まってい
        る。もしも投稿人がダブったどちらかの文章を削って投稿したとしたら不自然な余白
        ができてしまうのだが、この場合は他のきちんと納まりそうな投稿文と入れかえられる
        のだろうか。だとしたらこの文章で命びろいをしたのだろうか。
         誌面の構成も合わせて考えてみたり。余計なお世話。

       ツバメの死に自然界の厳しさ 7/9 74才
   
「ちまた」欄にはよくツバメに関する話題が出るが、自分もとある光景を見た、という
       投稿人。
        隣の家の少し高い軒に、ツバメのヒナの鳴き声を耳にするようになったという。
        ある朝、外に出てみるとヒナが落ちて死んでいるのを発見。そして数日後、またも
       産毛のヒナ3羽が死んでいるという。
        そして、ツバメがスズメと戦っているのを見かけ、ヒナ達はスズメにやられてしまった
       ことが分かった投稿人。これも弱肉強食の自然界の1つかも、と思ったが現在はその
       巣にスズメが巣食っているのを見て怒り心頭のようだ。

        「ひきょうとは思いませんか。」

      ・・・・・いや、別に・・・。ヒナは確かにかわいそうだな、とは思うが、投稿人自身も書い
       ている通り、これも自然界の流れなのだから仕方がないだろう。人間にはツバメとスズメ
       のような存在はいない。それだけのことだ。
        しかし、それだけ「許しがたい念でいっぱいなのです」と言いつつ、最後の文章で

        「人の世も動物の世も貫く生涯には、さまざまな終末があるのだと
      感じた出来事でした。」

      なんて書いてたり。分かってるぢゃん。それでもやっぱり、スズメはひきょうものでどうし
      ようもなく極悪非道なの?ねえねえ。(そこまで言ってないし)

  畑の友に会い何だか幸せ感 7/10 76才
  
夫を亡くして半年が経つという投稿人。その悲しみを癒すのは野菜作りにあったという。
     新鮮な空気を吸い、育った野菜に微笑みかけ、そして何より同じく畑作りをする友に会え
     る幸福感が大きいのだそうだ。
  投稿人の作る畑の左隣のご主人の話、そして、

      「畑の右隣は87才のおばあちゃん。」

    76才の投稿人からしても87才は「おばあちゃん」ということになるのか。
     そんな投稿人から「おばあちゃん」と呼ばれる87才はどんな気分なんだろう。ちょっと聞いて
  みたい。
  関係ないが、この文章を入力していてまたもやこのPCのバカな変換に呆れる。
   タイトルの「何だか」を「何打か」と変換し、文面の「半年」はなんと「ハント氏」と一発変換
  されてしまった。
   何打かはまだしも(それでも使われる率は低いが)ハント氏と変換する必要があるのだろう
     か。と物言わぬPCに問いかけてみたり。(ウソ)

   「 ちまた」掲載最高の喜びに 7/15 50才
      投稿人の妄想爆発。まずは冒頭から。

       「突然のくしゃみ。続けて2回、しばらくしてまた。誰かうわさしているの
     では・・・。」

       その時投稿人の頭をよぎったのは、数日前に「ちまた」に掲載されたことが話題になっ
       ているのでは?と思ったと言う。

       ないない。
       しかも、うわさされているのでは?と妄想し、その話題まで妄想。
       ダブルだ。
       投稿人にとっては「ちまた」欄は注目すべきことだろうが、ここを読む人ばかりではない
       のだ。自分が思うほど人は思ってはくれないもんなんだよなあ。悲しいことに。
       それと、「くしゃみ2回」って悪い噂じゃなかったか。あまり喜んでばかりはいられないぞ。

       そして、

        「次の日、朝食の支度をしていると、隣の部屋で主人が新聞をたた
     む音が聞こえてきました。」

       この文章で、いかに投稿人が「ちまた」を意識しているかよく分かる。『昨日の予感
       が頭をかすめた』投稿人、すぐに朝刊を開くとそこには自分の投稿が掲載されていた
       というのだ。
      それはよかったよかった。と言いたいところだが、『昨日の予感』って何だろう。
      投稿人の「昨日」は、くしゃみが2回出て、誰かに「ちまた」のことで噂されているのでは
      ?という妄想ではなかったか。
      それは「ちまたに再び掲載されるのでは」という予感は全然別物だと思うのだが。
      投稿人の妄想はとどまるところを知らない。多分。          

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