「 伊勢神楽」にだまされた? 3/17 57才
最初に読んだ時に、鼻先にニンジンを吊られた馬になったような気がした。ここで釣られな
ければいけないような、はたまたこんな簡単に釣られていいものか?というような。結局釣ら
れているわけなんだが。
内容は、タイトルで察しもつくが投稿人の家に笛の音とともに2人組がやってきたと言う。思
わず「お礼は?」とたずねてしまった投稿人に、「2千円!」と言う2人組。きょうびのこと、そ
んなもんかと疑いもせずに新札で差し出した投稿人、この人たちがどうやってやってきたの
かと思い外に出てみると、車のナンバーは三重ではなく、岡山ナンバー。この時、初めて
おかしい、ということに気づいたが、それが真偽のほどは今もってさだかではない。
ただ、近所の人に聞いてみると「いりません」とはっきりと断った人もいるそうなのだが。あ
れこれ考える投稿人。
「以前、カンボジアの難民に寄付を・・・と訪問があり、寄付をさせられ、
あとでどこかの国の団体の資金だったことを知った。苦い記憶を思い出
す。気分の悪い朝だった」
簡単だなあ、投稿人。しかも忘れてるし。そんなだからこういうことになるのだろう。まあ、だ
まされてしまう人は何度もだまされてカモにされると聞くがまさにそれではないか。しかも、
ちまたの投稿はご親切に名前は実名、地名まで公表される。この投稿人の住む場所がせ
めて岡山市ならまだよかったが、そうではない。本人を探そうと思えば簡単そうだ。今後、付
け入られないように気をつけた方がいいぞ。何だかまただまされそうな予感。
悩み相談できる先生が大好き 3/19 中3
まず、書き出しから。
「私には好きな先生がいます。それは社会の先生です。40歳代であり、
また妻子持ちです」
ドキッとするなあ、投稿人。妻子持ち。そういう言い方あったよなあ、と再確認してしまっ
た。投稿人はこの先生のことを男性として好きなんだろうな、とちょっと下世話ながら察し
てしまった。人間として尊敬する程度なら、「妻子持ち」という部分はわざわざ書く必要も
ないだろうし。投稿人は勉強は本当は自分自身のためにするものだが、今の自分は先
生にほめてもらえるためにしている、とハッキリ書いている。そして、最後にとどめ。
「先生のことが大好きなんです」
ここまで清々しく書かれると気持ちいいくらいだ。しかも投稿人はペンネームを使わず
本名。とすると、心当たりのある教師は絞られてくるだろう。
言っておくがよこしまな気持ちを持つんじゃないぞ。頼むから。と下世話な心配もしたく
なるってもんだ。
上品な名前の別名「 満天星」 3/20 79才
3月に80才を迎える投稿人、顔に当たる風に春を感じつつ冒頭では今までの人生に思い
を馳せている。
そんな投稿人が庭にでて垣根に目をやると、フキノトウがかわいらしい顔を出しているのを
発見。これを入れたみそ汁が投稿人の夫の好物だったとも書かれている。そこへ、よく見れ
ばイヌノフグリが淡い紫のかれんな花をつけて咲いているのを見つけた投稿人。
「でも、この名がどうしても気になるので植物図鑑を調べてみたら、別名
『満天星』とも言うと書かれてあった。私はうれしくなった。何とよく似合う
上品な名前だろうと、心のわだかまりが1つ消えたようだ。」
どっちの名前が気になったというのだろう。話の流れではフキノトウがメインっぽいのでフキ
ノトウの名前を調べたのかとも思ったが、そうなるとイヌノフグリが登場した意味がない。しか
も、名前で「気になる」のはどちらかと言えばイヌノフグリだろう。要するにイヌノ○○○○。
いくら形が似ているからと言ってそのまま植物に名前をつけてしまうのもどうか、と思えるが。
とりあえず、どっちのことだか分からないので私も調べてみた。すると、「満天星」と呼ばれ
る植物はこの2つとは全然違う植物の「どうだんつつじ」だと言うことが判明。一体投稿人、
どこをどう言う風に調べたのか。ただ、イヌノフグリについては別名で「ホシノヒトミ」とも呼ば
れているそうなのだが。てことは、投稿人が気になる名前とはこの「イヌノフグリ」のことだっ
たのだろうか。調べたが余計に分からなくなってしまった。
この投稿についてのご意見はまた「ちまた」で掲載される日がくるのだろうか。ちょっと期
待してみたい。
ついうっかり防止へ再確認 3/21 80才
チャイムの音で玄関に出るとセールスマンが2人おり、その熱心な様子に話を聞いていた
投稿人。そこへ投稿人の友人がやってきて、
「お客だからと台所に入っていった。部屋はもうもうと煙が充満、ガス栓
を止め、窓を開け換気扇をフル回転、玄関の私を呼びに来る。」
話の展開が異常な早さなのでしっかりついて行かなければならない。まあ、要するにガ
スの火をつけっぱなしであったと、こういうことなのだが。
しかし、驚くべきことにこのことは投稿人にとっては珍しくないらしいのだ。
「独り暮しの私は、今までも鍋を3個焼いているので常に気を配ってい
るが電話、宅急便となるとつい忘れてすぐに飛んで行く。」
「それからは外出時はもちろん、ちょっと買物に行くにもストーブは、コ
ンロは、電気はと心を配るようになったものの、ついつい忘れ電気はそ
のままになっている。」
「気が付いてみると風呂水は満杯、これなどは問題はないが火は十分
気を付けなければと、寝間に入っても再度起きて確認しているこのごろ
です。」
よくぞ今まで何事もなく暮らしてきたものだ。文面を見る限りでは、気を付けてはいるような
のだがどこか1つヌケてしまっている様子が手に取るように分かる。これでは「常に気を配って
いる」とか「心を配るようになったものの」などとてもじゃないが言えないのだ。
しかも「風呂水の満杯」を「問題ない」と言ってしまうところもまたすごい。こういう考えだから
ついうっかり、が治らないのではと思うんだが。
それにしても、一旦起きて確認しに行くのは結構だが、その時に電気の消し忘れをしてし
まっていそうな予感。隣人でいてほしくない人種の典型だ。最近、ちまたの「実名」をよく引
き合いに出すことが多いがこの場合は実名で本当によかった。隣人は要チェック。何なら
回覧版でこの記事を回すことをお勧めしておく。
家族が優しいお年寄り幸せ 3/24 22才
投稿人の祖母は74才。車の運転もでき(スゴイ!)、ほとんどのことはこなしているとか。そ
んな祖母がある日「読んでみい」と言って新聞を持ってきたと言う。それは去る7日付の「ちま
た」に掲載された投稿で、70才のおばあちゃんが病院の待合室で人待ち顔でウロウロしてい
るお年寄りを見かけ、気になって見ていた。するとそのお年寄りの息子らしき人がやってきて
「何をウロウロしとる、くそばばあ」の怒声に驚いたとのことで、それに比べて自分は優しい
家族に囲まれ、とても幸せだ、という内容のものであった。
投稿人の祖母はその投稿を読み、そのことに腹を立てたり、自分は幸せだと思えるという
部分が我が家と同じだと喜びを涙ながらに投稿人とその弟に語ったのだと言う。
私もこの投稿はよく覚えている。しかし、ここまで自分の幸せの喜び方はあからさまではなか
った。よく不幸な境遇の人と比較して自分の幸福を感じる、ということを聞くことがあるが、私には
ちょっと理解できない。
それではその不幸な境遇の人は一体何なんだ、と言いたいのだ。他人に自分の幸せを感じ
させる材料なのか?そうではないはずだ。
そういうシーンを見るとすぐに「かわいそう」と言っているのと変わらない。「かわいそう」と言うこ
とで、言った本人は自分の状況がそれより少しはマシだと言うことを認識できてホッとしている
だけなのだ。
その怒鳴られたお年寄りもただ不幸なだけではない。確かにその一場面だけを見れば「ひど
い仕打ちを受けるお年寄り=かわいそう」な図式しか浮かばないかも知れないが、そもそも、そ
んな風に自分を呼ばせるように育ててしまったのもそのお年寄りにも原因はあったことだろう。
それに、周りが思うほど本人は思っていないことの方が多いしな。
とにかく、すごくひっかかってしまった投稿なのだった。
少子化対策に「 奨励賞」検討を 3/27 65才
少子化問題について日本の将来を憂いている投稿人。
まず原因を挙げ分析している。
1組の夫婦に1人の子供なら人口は減少、2人なら横ばい。3人目から人口が上向くことに
なるとのこと。
少子化は将来的に国力の低下をきたす恐れがある、と指摘。もっともなことだ。と言いつつ
我が家も子供は2人で人口は横ばいにしかならないのだが。
そこで投稿人、こんな策を考え出した。
「少子化対策の一環として『多子作奨励賞』の制度を設けて、夫婦単位
の3人目の子供についてのみ、(中略)児童扶養手当を支給することが」
これはなんだ?「多子作」。たごさくと読めばいいのか?たごさくと言えば思い浮かぶの
は日本むかしばなしに出てきそうなネーミング。ルックスはカールおじさんを思い出させ
るのだが、果たしてこのたごさくどんと少子化がどう関係があると言うのだろう。
しかし、私の思いとは逆に投稿人はこのネーミングを気に入っているようだ。普通に考
えれば制度の内容のみ書けばいいわけで別にここでその架空の制度の名前まで書く
必要もないからである。
「3人目の子供にしか手当ては出ないのだろうか。それ以上に人口が増えるはずの4
人目以降はどうなるのだろう」 という基本的なツッコミはあえてやめておこう。
人間の衝突招くタマちゃん騒動 3/28 65才
世界中のメディアが戦争中心にニュースを流す中、この日本でもその合間を縫うように
報道された「タマちゃん騒動」。これについて投稿人は言及している。
要するに、片や「タマちゃんのことを想う会」では「タマちゃんを故郷の海に帰すべき
だ」と主張、一方の「タマちゃんを見守る会」では特別にタマちゃんに何も起こっていな
いのに独断で捕獲するのはおせっかいだと主張。
投稿人はどちらの主張もうなずける、と書いている。そして「その上で、相手のために
と思ってすることが相手には迷惑になる場合がある。そして、どちらも正しいと我を通し
、相手を非難し合う人間社会のきしみはよく起きる。」と書いている。
さて、この話の流れから投稿人はそれを戒める言葉で締めくくるんだろうな、と思いな
がら読んでいく。すると。
「残念ながら人の世に争いの種は尽きないが、それも生きているという
証しなのかもしれない。」
えっ。それでいいのか?もっとこう・・何というか「それでも譲り合わなければ争いが続く
だけだろう。私たちももっと考えなければならない」とか「今世界で起こっている争いごとも
もともとはこういうことから始まっているのかも知れない」とかそういう厳しい言葉が来るのか
と思いきや、なんか急に物分かりがよくなる投稿人。
悪いことをした後、怒られる、と思って覚悟していたら急にその相手が遠くを見つめて
穏やかな顔つきで「それも人間だ」とか言い出した感じ。
ホッとする反面、ちょっと罪悪感が残るような感覚だ。いや別に私がタマちゃん騒動で
罪悪感を感じることもないのだが。
赤ちゃんの瞳末永く輝いて 3/30 71才
山陽新聞誌上に毎週日曜日に「満1才になりました。」という記事がある。
1才になった子供(約20人)の写真を掲載しているものだ。この記事を見ては投稿人、
「私の孫、ひ孫はどの子にしようかしら?勝手に決めて3人選ぶ。」
別にいいのだ。この写真を見ておばあちゃん気分を味わっても。ただ、なぜ3人なのだろ
う。そしてその判断基準は。そこが一番知りたいのだが。
そして投稿人のひ孫はよちよち歩きとのこと。長男の携帯電話に写っている写真を見
せてもらっているそうで、自由に会えないだけにこの誌上での赤ちゃんに満足している
と言う投稿人。そしてその写真を見ては、
「このあどけない澄んだ瞳が汚染された社会の中でいつの日にか濁
ってくるのかと思うと心が痛みます。」
勝手に決めつけて心を痛めないように。もちろん、この赤ちゃんの頃のままの心で生きて
いくことは無理な話だろう。しかし、だからと言って「汚染された社会」の中「いつの日にか
濁る」とまで言わなくても。投稿人含め皆その中で生きてるわけだし。
もう少し違う書き方があっただろう。その後
「純白の生地をいかように染めてゆくのか、(中略)どうぞ末永く瞳の輝きを保つことができ
ますように」と書き添えてはいるが、最初の表現がキツすぎるあまり、フォローになっていな
い。
「 武蔵」「 竜馬」息子は有名人 3/30 37才
「おれって有名人?」と投稿人の二男が新聞をのぞき込み問いかける。それもそのはず、
二男の名前は「武蔵」。投稿人の夫がつけたそうで、二男自身も今一番有名な人と名前
が同じということが嬉しいようで、毎日テレビ、新聞で武蔵探しをしているそうだ。
「実は長男は竜馬といいます。」
なんとベタな。武蔵に竜馬。いくら何でも狙いすぎである。ちょっと恥ずかしい。
それに、「今一番有名」だということはそのブームが去ればたちまち古さが増すのも事実。
それは投稿人も二男も知っておいた方がいいと思うが。
関係ないが二男が冒頭で言った「おれって有名人?」のセリフだが、即座に1発屋・アラ
ジン「完全無欠のロックンローラー」のセリフ「オレってグレート?」を思い出してしまった。
こちらも瞬時に過去のものとなってしまった例である。浮かれてばかりいないでやはり心
得ていた方がいいな。