天国のお父さん私を見守ってね 3/11 66才
「お父さん、あの世に逝ってはや5ケ月になりますね」から始まる投稿文。
亡くなった父親へ向けての手紙である。
お友達と会うことはできましたか、と投稿人もいろいろと気にかけているようだ。しかし、
「一度も便りがないので心配しています」
この場合の「便り」とはどういう便りなのだろう。また、投稿人はどういう便りを望んでいるの
だろう。
枕元に立てばいいのか、誰か帰って来たのかな、と思ったが誰もいなかったとか、店に入っ
たら人数より多いコップが出てきたとか。
そういうことでもあれば安心するのだろうか。謎だ。
どれがあっても普通はちょっとイヤなのだが、投稿人の父親に対しての愛情がすごく強そう
なのでこれはアリなのだろうかと考えてみたり。
それにしても、
「いずれ私もそちらに参ります。お父さんの隣に席を確保しておいてくださ
い。(中略)今度は絶対に離さないから固く抱きしめてください」
という最後の文章もすごい。独身だったのかな、と思ったが「主婦」である。
父親を思う気持ちも分かるが、これを読んだ投稿人の夫は果たしてどう思うのだろう。
・・・・・とツッコんでみたが、「父親ではなく、ダンナさんのことでは?」というご指摘あり。
そうか。そう言えば「父さん、母さん」と呼び合う夫婦は珍しくないものなあ。この場合は「ダンナ
さん」と考えた方がよさそうである。
それにしてもこの手の内容の投稿にはツッコミたくてもツッコミにくい部分があるのだが・・・。
赤い万年筆に昔思い出す 3/14 71才
山陽新聞に「デスクノート」と言って、山陽新聞記者自身が感じたことなどが小さい枠でほぼ
毎日掲載されているのだが、その「デスクノート」にてとある記者が「万年筆」について書いた
文章を読んで、「あの大好きでおねだりの末、やっと買ってもらった赤い万年筆のことを思い出
しました」と言う投稿人。
てっきりその赤い万年筆を買ってもらったいきさつや状況、気持ちなどについて書かれてい
るのだろうと思い、読み進めていく。
まずは、会社勤めではなく、年中ジャンパーに地下足袋で作業に勤しんでいた夫に突如会
社勤めの機会がおとずれたことから。
その次は、投稿人自身が大事故で生死の境をさまよい、一命を取りとめ、その後「ちまた」な
どの新聞投稿を生きがいにしてきたと言う。
ここで、その記者も書いていたのだろう「いつのまにかボールペンになって。好きな手紙や日
記までも」と少し万年筆を思わせる話題が出るが、これでは思い出したはずの万年筆の話題に
は足らないだろう。。何せ冒頭から「思い出しました」と思いっきり書かれているのだ。このことを
ぜひ知りたいではないか。
しかし、次の段落でこの投稿も終わりだ。せめてここで万年筆の思い出を知りたい。切に願う
私。嘘だけど。
「10年前旅立った夫の黒いかばんの中から取り出して、遺影の前に退職
の日まで使った黒で太めのと、あの赤い私の万年筆を並べてみました」
あの、って何。あのって。最初から、この赤い万年筆には「あの」という2文字がくっついてい
る。もちろん、投稿人にとっては「あの赤い万年筆」と言うだけでいろんな思い出が蘇るのだろ
うが読み手であるこちらには全く判らないのだ。それなのに「あの赤い万年筆」と当たり前のよ
うに書かれているのだ。気になるではないか。
このタイトルは「赤い万年筆に昔思い出す」だが、タイトルと投稿文は合っているのだが投稿
人の心はその逆のような気がする。
「昔を思い出す赤い万年筆」。微妙な違いだ。