義母と過ごす穏やかな時間 5/17 51才
    
83才になる義母の細い体をいとおしく感じる今日この頃だという投稿人。けして
         上手ではない食事を「おいしい、おいしい」と食べている優しい顔。思い返せば、
         嫁いだ日から情に乏しかった義母の厳しさに何度泣いたか分からなかったという。
         しかし、時は経ち、義母が弱くなったのか、自分が強くなったのか、そんな義母と、
         このような和やかな時間が過ごせているとは想像もできなかったという。
          やさしい心で、やさしい言葉で穏やかに母と接することが嬉しい、とか、同居して
         よかったとか、いつの日か母の世話ができることも私の喜びだ、とまで書いている
         投稿人。幸せを十分かみしめているようである。何よりだ。いい話ではないか。
          そう思い、涙を拭いながら(ウソ)投稿文を読んでいった。そして、限りなく幸せを
         感じさせる投稿分の最後の一文を読む。 

          「私に少しは良い思い出を残していただけませんか、お母さん!」

        十分今が幸せなんじゃなかったのか、投稿人。今までの至福に満ちた文章は一体
         何だったのか。怖いぞ、投稿人。
          直前までの文章からいきなりの展開で、まるで舞台が暗転したようだ。ホラーだぞ、
         ホラー。
          最近読んだホラーの中でもかなり怖い方だ。実話だしなあ。ヘラヘラ優しい笑顔
         浮かべてる場合じゃないぞ、お母さん!! 
 

    愛情を持って鳥の世話しよう 5/20 63才
          チャボを飼っている、という投稿人。最近は孫が遊びに来ると一番にチャボの元に
         向かうという。
          なぜチャボを飼い始めたのか。その理由を語る投稿人。

         「ところでチャボを飼っているのは娘が嫁ぐ時に『私と思って大事
      にしてんな』と言ったからです。」

        「私と思って大事に・・・」いい話ではないか。私は口が裂けても言えない言葉だ。
         それにしてもなぜチャボだったのだろう。似てるのか、娘。この書き方だと、嫁ぐ時に
         投稿人の娘が急にチャボを連れて帰り、件のセリフを言ったように思える。(余談だ
         がこの状況を想像するとなぜか高橋留美子の絵柄で登場するのだが・・・。)

         しかし、それは違ったようだ。
          「高校時代から何か辛いことがあると、小屋の前でしばし座りこんでは気持ちを落
         ちつけていたようで」と書かれている。では、もともといたチャボを飼っている理由が
         なぜ娘のセリフになるのか。
          ということは、娘がそう言わないと、「チャボを可愛がってた娘も嫁に行ったし〜」と
         か言って、手放すつもりだったのではないか?
          そうするつもりが、娘にそうまで言われたら捨てるわけにもいくまい。だから飼って
         いる、と読み取れたが。どうか。

          何にせよ、この娘の言葉とチャボを飼う理由を結びつけたらいかんな。どう読んで
         もそうとしか思えないし。可愛がっている理由、にするべきだっただろう。もう遅いけど
         ネッ。

         看護婦が不足国の考え教えて 5/20 53才
          病院に長いこと入院し、看護婦さんに大変お世話になったという投稿人。

         「ところで、最近、看護師と呼び名が変わったのですね。」

        違う。違うぞ、投稿人。看護師ではなく、看護士だ。看護師と聞くと、整体師とか
         手品師とか魔術師とか道化師とか想像して、何か患者の前で派手なパフォーマン
         スでもしそうな絵が浮かぶではないか。白衣のままで。
          この投稿を載せたちまた担当者は気づいていただろうか。気づいたが、こういう場
         合は字の間違いはあえて直さないと思われるので、そこは無視して投稿人の
         考え方に重点をおいたのだろうか。その場合、私だったらむずがゆくなるな。直した
         いのに直せない、この歯がゆさ。考えただけでイライラしてくる。まあ、おかげで私は
         こうやって堂々とツッコめるのだけど。

      ここで、
     
<ちまたにツッコめ!>

     上の「看護師」ネタについて、本日5/21、とあるお方からメールが届いた。

        「いつも楽しく拝見させて頂いております(とりあえずそのコーナーだけ)。
       看護師は、実は看護師なのです。「保健婦助産婦看護婦法」が改正になって、
       今年の3月1日から「保健師助産師看護師法」になったのです。53年の歴史に
       幕。「看護婦」と聞くだけで胸がときめくような人も多かったのではないかと
       推測されますが、その人たちからすると「余計なことしやがって!」といった
       ところでありましょう。最初に聞いたときには、医師でも手品師でもなく「ホ  
       メイニ師」が浮かびました。いや、何をした人かは知りませんけど。」

        以上である。うわ。恥ずかしい!どうも、間違っていたのは私の方であった。
       メールを頂いて、その恥ずかしさにこんな私でもさすがに頬が赤らんだが、恥らって
         いる場合ではないのだ。早速お礼方々、このメールを掲載させて欲しいとお願いし
         たところ、快く承知して頂いたというわけなのだ。実はこのメールを頂いた直後、もう
         一度何気に新聞に目を通していたら、その中の記事の見出しにデカデカと
         「看護師」がどーのと書かれてあった。後の祭りだが。

         「看護士」私は何をどう見て勘違いをしていたのだろう。(と自問自答しながらフェイド
         アウトしようっと)
  

  公立病院職員の対応に言葉出ず 5/25 50才
   
大阪在住の投稿人。岡山の病院に投稿人の母親が入院しているそうで、一度の
       お見舞いに片道8,000円かかるという。そして、病院から実家への往復にはタクシー
       しか手段がないそうで、交通費だけで20,000円はかかることになるとか。
        考えあぐねた投稿人は、事情を病院の事務所に説明し、貸自転車のようなものはあ
       りませんかと尋ねたのだそうだ。すると、男性職員が首だけねじて、こう即答したそうで
       ある。

        「タクシーが来てくれる。そこの電話を使うたらタダ!」。私は二の句
      が出なかった。

      この後の文章で、「たとえ自転車はなくても、個人の病院だったらこういう返事はまず聞
      かれないだろうと思った」などと、病院への不満を書いているのだが、

       まず、
       このセリフ、そんなに怒るほどのことなのだろうか?

       「タクシーが来てくれる。」というセリフは確かにヘンだ。投稿人は事情を説明したらしい
      から、その上でこの発言が出るとは、『一体何を聞いていたのか?』と聞きたくなるほどだ。
       ただ、「そこの電話を使うたらタダ」なんて教えてくれるのは逆に親切ではないか?
       本当に不親切ならばもっとあっさりと「ないですよ」としか答えてもらえないはずだ。

      それと、個人の病院だったら、とも書かれているがそれは偏見だ。今回の投稿人が気に
      入るような対応ではなかったことは、この男性職員についてであって、個人病院にだって
      いくらでもムカつく対応ができる職員はいると思うが。逆に公立病院での対応の方が遥に
      よかったり。

       しかし、果たして自転車で往復できるくらいの距離なのだろうか?
       書かれてあることをそのまま取れば、投稿人の自宅から母親のいる病院までが片道8,00
      0円で往復16,000円。病院から実家まで合わせると総額20,000円とのことなので、計算し
      てタクシー代往復4,000円というところか。
       タクシーで往復4,000円というと、恐らく自転車なら30分以上はかかる距離だ。まあ、行け
      ないことはないか。しかし、それにこだわるより先に、自宅から岡山の病院までの旅費の削
      りようはあると思うがな。大阪だろう?投稿人の住む枚方市から大阪駅までどれだけの距離
      か不明だが、大阪〜岡山間だと高速バスが往復3,000円程度ではなかったか?自転車を
      30分こぐ気があるのなら安易に新幹線を使うことを考え直した方がいいような気がするのだ
      が。

      父の姿しのび姉と桃の袋掛け 5/31 50才
   
亡き父親が大切に育てたという桃の木に袋掛けをし、思いを馳せる投稿人。
       そこには、その袋掛けの作業に投稿人の姉と二人で父親の好物のビールのつまみを持
       参して手伝いに行ったこと、そして、そのひとときがとても楽しみだったこと。
        去年の9月の終わりに亡くなったという父親に対して、あたたかな気持ちがすごく伝わ
       ってくる投稿文である。終わりの方の「たくさんの思い出を残し、逝ってしまいました。」と
       いうくだりは何となくしんみりしてしまうくらいである。言いすぎだけど。そして、最後の1文。

        「あの病院に入って本当に良かったのか、残念でなりません。」

      なんだなんだ。医療ミスか?告発か?いきなり物騒だな。今までのホンワカしたような、
      ちょっと切ない雰囲気がブチ壊しである。そうしてまでも、書かずにはいられなかったんだ
      ろうが・・・。それなら最後の最後でいきなり伏線もなく持ってくることもあるまい。何だか主
      旨が違ってくるんだが。

       新しい出会い 楽しみな高校 5/31 高1
  
 高校生活にも慣れてきたのだろう、投稿人が自分の高校には中学の頃に仲が良かった
      友人が一人もいないということから、出会いと別れについて投稿している。

       この投稿文、箇条書きにしてみることにする。

       ・長く親しく付き合うほど別れは悲しいものだ。
       ・出会いが運命ならば、別れも出会いと同じ運命なのか?
       ・出会うことは別れを受け入れることだ。
       ・別れることを怖がれば出会うこともない。
       ・人間はいずれは何かの形で別れなければならないにも関わらず、出会うことをやめない。
       ・私もまた新しい友人に出会い、(中略)そして新しい出会いのために巣立ちするのだろう。

      すごいのだ。短い投稿文の中に、「出会い」「別れ」がてんこもりである。最後の方では
       その二つの単語しか目に入らなかった。
        しかし、考え方もすごいな。別れてから出会うわけではなく、ましてや出会ってから別れる
       ものじゃないぞ。その順序が当てはまるのは投稿人が経験した卒業・入学の時くらいの
       もんだろう。(入社、退社もあるけど。)
        どちらにしろ、出会いや別れに順序なんてない。もちろん、新しい友人と昔からの友人
       の区別もつきあっているうちになくなってくるものだし。

        まだまだ青いなあ、投稿人。当たり前か。

 

         

 

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