動物の命をもっと大切に 4/20 47才
   
投稿人が日課でもある朝の散歩に出かけた時のこと。公園で段ボールに入った
       子犬を発見してしまったらしい。見てみぬふりもできない投稿人。以前にも何度か
       仕事中にも関わらず捨てられた動物を保護したりしたこともある投稿人。今回も連
       れて帰ったものの近所に聞いて廻っても犬好きの家はすでに飼っているし、投稿
       人の家にも犬がいる。仕方なく今は家に置いている投稿人・・・。
        そして、動物を飼う人への提言。タイトルにもある、「動物の命をもっと大切に。」
       という言葉だ。それに続き、

       「散歩に行ってまた捨て犬を見てしまったらどうでしょう?

       どうでしょうって・・・。「どうしよう」の間違いではないか?どうでしょうと言われても
       なあ。「どうだろう」と答えるしかないではないか。そして、

       「散歩に行くのがボッケイキョウテー、今日このごろです。」

       あえて太文字にはしなかったが、「ボッケイキョウテー」。この言葉だけで、投稿人
       の筆跡と縦書きの文章が想像できてしまうではないか。筆跡は思うに、払いとかしっかり
       した文字を書く人のような気がする。根拠はないが。ちなみに、「ボッケイキョウテー」
       とは、「ボッケイ」とは「すごく」、「キョウテー」は「恐てえ」で「コワイ」という意味。
        つまり、すごくコワイ、という意味なのだ。私の周りではあまり使う人もいないが。

       そして、最後の一文。

        「この子たち、どうしよう?」

      どうしよう。てか、どうにかしたくて投稿したのではないのか?それならそうとハッキリ書
      いた方がいいぞ。「飼ってくださる方、連絡下さい」とかなんとか。もっとも、「ちまた」は優
      しい読者が多いようだからそんなこと書かなくても「飼います」という人が現れて、そのうち
      お礼の投稿が載ったりして更に別の読者も一安心、という図式が浮かんでしまうのだが。
       私のようなひねくれたヤツは「どうしよう?」なんて一人で悩んでるフリをしているこの投
      稿にはこんな風にツッコむしかないけどな。

       メール被害に細心の注意を 4/22 高1
   
「ちまた」の常連でもあり、ここ「ちまたにツッコミ」の常連でもある投稿人。古くは「3cm
       の虫を食べる」で議論を呼び、(といってもここでだけだけど)最近では自転車に乗って
       スッ転んだことだけで「自転車の操縦」について語れる、貴重な人材である。
        さて、そんな投稿人のお題は「ケイタイ電話のメール被害について。」
        高1ではあるが絶対にケイタイなど持たなさそうな投稿人なので、意外な気はしたが
       読んでいてただ「コイツらしい・・」と思うしかなかった。

       最近、問題になっている悪質な携帯電話を使ってのメール被害。思った通りこの投
       稿人は携帯を持っていなかった。しかし、新聞に載っている携帯電話についてのニュ
       ースは見逃さないのだそうだ。

       「いつか携帯電話を持ったときに、どんなことに気を付けたら良いの
     か知っておくべきだと思うからだ。」

      実にこの投稿人らしいではないか。こんなことは携帯を持ってからいろいろ調べた方
      がいいと思うのだがなあ。投稿人がいつ携帯電話を持つのか知らないが、恐らく当分
      先の話であろう。いや、もしかしたら一生持たないかも知れない。こういう機器について
      のニュースは1ケ月も経てばずいぶん様変わりする。それなのに、いつ持つか分からな
      い携帯電話についての情報を見逃さずにチェックするとは、考えただけで気が遠くなり
      そうだ。
       携帯一つ取ってもこうなのだから、さぞかし今からいろいろなことについて調べてたり
      するのだろうなあ。絶対に失敗がないように。
       しかしなあ、投稿人。失敗しないように備えるのは結構だけど、思わぬアクシデントは
      必ずあるものだ。それが起こった時に、素早く対処できるようにしておいた方がいいぞ。
      それにはある程度の失敗やミス、それも経験しておかなければ分からない。

      ミスの処理にめっぽう強い(てか、ミスが多いのでそうならざるを得なかった)私からの
       意見である。便利だぞ。こういうのも。

  田舎での生活案外幸せかも 4/24 中3
   
春休みに、部活のマラソンをかねて、花見をした時のことを語る投稿人。その場所は
       険しい山道の先にあり、あまり知られていないような場所だったので、満開の桜を自分
       たちで独占状態だったそうだ。
         「ちまた」に名前と年齢の次に掲載された投稿人の住む場所は、確かにこの岡山
       市内と比べても田舎である。そのことについて、

       「私たちの町は田舎で、少し遠出しないと大きなお店がないから、
      京
なんかに比べたら不便かも知れません。」

      驚いた。いきなり「東京」と比べるとは。ものには段階があると思うのだが。とりあえず市
      内を引き合いに出しておいてから、「東京」と比べた方がいいぞ。何だか、草野球の選手
      が自分の腕前について「イチローなんかに比べるとまだまだかもしれません」なんて言って
      いるような気がする。それに、「東京」だからと言って全部が都会というわけじゃないしな。
       投稿人がそれを知るのはもう少し後のことだろうけど。

       安全心掛けて100歳を目指す 4/24 74才
   
投稿人は今から3年前の1999年の4月20日、工事現場で5メートルの高さから頭から
       転落、ヘルメットも割れ、生死をさまようこと1ケ月、5月に転院し7月には退院、それ以
       来リハビリに毎日1時間は歩いていると言う。

        「あれから3年たちましたが、4月20日は私にとって人生が大きく変わ
     った日なので、『運命の日』と定め、この日だけは家から1歩も外に出な
     いで、家の中で過ごすことにしています。」

      なぜだ。なぜ家から1歩も出ないのだ。この日にそういうことがあったから、げんをかつい
      でいるというわけか。じゃあ、誰か誘いに来ても「今日は運命の日なのだ」とか言って断っ
      たり、奥さんに「お父さん、ちょっとお豆腐買ってきて」とか言われても「運命の日なのだ」
      とか言ってるんだろうな。なんなんだろうなあ、運命の日。
       自分にこの時に起きた事をよく思い出し、再び安全を心掛けるということなのだろうが・・。
      それだけ力入れておいて、運命の日の次の日に散歩していたら転んで頭を強く打って・・
      ということになったりして。まあ、それも運命だった、ということで。ちゃんちゃん。
 

  迷い犬見つかり家族の一員に 4/27 76才
   
まず、タイトルからしておかしくないか?「迷い犬」が「見つかる」とはどういうことなのだ
      ろう。「飼い犬が見つかる」なら分かるが、「迷い犬が見つかる」とはなあ・・・。と不審に思
      いながら先を読む。
        山陽新聞と一緒に配られた1枚のミニコミ紙に、写真入で迷い犬が載っていたのを見
      つけた投稿人。昨年5月から行方不明になっていた犬だと直感した投稿人。偶然にも娘
      の嫁ぎ先の近くということもあり、一緒に見に行ったのだそうだ。投稿人は思わず夢中で
      犬の名前を呼ぶと、その犬も大変喜んだと感じ、

      「誰か『僕』をもらって欲しいとのこと、迷わず連れて帰った。」

      もらって欲しいとは・・・。恐らくその記事に書かれていた言葉なのだろうが、全然関係な
      い人がそのままその言葉を受けとめ、もらって帰るなら話は分かる。しかし、投稿人は元飼
      い主なのだろう?「もらって欲しい」とはどういうことなんだ。アンタの犬じゃないのか?ここ
      は「連れて帰って欲しい」と書くべきだろう。

       そして、それから10日余り。人なつこい犬なので、毎日が楽しいそうだが、

      「娘や息子が言うように、家にいた犬ではない。」

      え。

      「本当の飼い主はどこかにいるのでしょうか。」

      じゃあ行方不明の犬は?

      「それを思うと一抹の不安がありますが、大丈夫、もう私の家の家族です
     。仲良く暮らしていきます。」

      いや、だから、行方不明の犬は?もういいのか?そっちの心配は。私的には行方不明
      の犬の方が気になるのだが・・・・。しかし「直感」したのだろう。アテにならないなあ。「直
      感」。これからはむやみに使うもんじゃないぞ。何だか大変なことになりそうな気がする。
       しかし、やはりタイトルはヘンだ。この場合、
       「迷い犬引き取り家族の一員に」
       が妥当だろう。「見つかり」はどう考えてもヘン。

       多くなってきた良識欠く学生 4/27 19才
       最近、良識に欠けた学生が多くなってきたと感じるという投稿人。きっかけはささいなこと
      であった。彼は週に一度、気分転換もかねてゲームセンターに行くのだそうだ。

        「そこで音楽系のゲームを1回遊んでから帰宅するのですが、」

      なんなんだろう。1回。この1回にひっかかるな。1回だけでいいのか、てか、その1回の
      ためにわざわざ通っているのか。2回ではダメなのか。という、「1回」にこだわりを感じる文
      章である。

       まあ、それは結構どうでもいいのでおいておく。そしてゲーセンに通う投稿人、このところ
      群れをなして機械の前に集まり、独占したかのように順番も関係なく遊び続ける学生を見
      たのだそうだ。
       その日、ゲーセンを訪れた投稿人は、1時間以上待ったうえ、結局何もせず帰るはめに
      なってしまったのだと言う。

       「私はただ1回でいいから遊びたかったのに。」 

       そうだよな、1回遊びたかったんだよな。1回。しかしそれをここで言うなよ。投稿人。

       どうやら、先述の学生たちが殆ど独占状態で遊び続けていたようで、

       「お店の方も1回遊ばれたら次のお客さまに代わって下さいと張り紙
     をしているにもかかわらずです。」
 

       そうだよな。1回だよな、1回。それだけ遊べば十分なんだよな。よしよし。

       「私はその日、無駄な時間を使い、無情さを感じました。」

      いや、無駄な時間にするかしないかは自分自身の問題ではないのか?一言も文句を
      言えない自分への苛立ちも一緒くたにしないように。確かにこのご時世、そういうヤツらに
      文句は言いにくいだろうけどな。しかし影薄そうだな、投稿人。大丈夫か?2回くらい遊ん
      でみてはどうだ。変わらないか。
        一人で音楽系のゲームを1回だけ楽しんで帰る男子学生。
        それも結構・・・・・痛い。
 

   多用気になるカタカナ語 4/29 71才
       「あなたは男親のことをどう表現しますか。」と問いかける投稿人。「パパ」「おとうさん」
      「おやじ」など、表現方法を並べている。そのうち、「パパ」は成長するにつれ使わなくな
      ってくるでしょう、とのこと。そして、

       「『ファーザー』などを使う家庭はどれほどあるでしょうか。」

        ないって。そんな家。「どれほどあるか」って、皆無だろう。71才だからとはいえ、その
       くらいは分かっているかと思うが・・・。「ウチのファーザーがさあ・・・」なんて言ってるヤツ
       の顔も見てみたいが。

        タイトル通り、投稿人は最近のカタカナ語の多さを嘆いている。

      「日本人相手の場合、母国語で話すべきだと思うし、外国人相手の
      場合、できれば相手国語。これが親切というものと思う。」

       いや、ていうか日本人相手に日本語以外で何語を話せというのだ。それに、カタカナ
        だからと言って全てが外国語というわけではないし、造語もかなり多いのだ。外国人相
        手についても書いてあるが、それはまあ理想だろうけど、その時の状況にもよるし、そ
        んなことをわざわざ投稿人に言われるすじあいもないと思うが。大体、この日本で、い
        やこの「ちまた」読者の中で、相手の母国語に合わせて会話できる人がどれだけいる
        と思っているのか?

        そして、締めの言葉。

        「日本語も十分理解できない者のたわごと。」

       そんな自虐的にならなくても。確かに「ファーザー」は投稿人が思うほど使っている
        人はいないし、日本語以外使える人も殆どいないがな。そこまで自分を落とすなよ。
        悲しくなるではないか。ってならないけど。書いてみただけ。

  

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