うそがまん延社会にうんざり 4/1 66才
   
「ちまた」常連の投稿人の、「ウソ」にまつわる例え話。
       子供の頃「うそをつくと尻に松が生えるから絶対にうそは言ってはならない」とよく聞かさ
      れたのだそうだ。「尻に松」か。私は初めて聞いたがそれはイヤだな。確かに。松に限ら
      ないが。
       その例え話を挙げた後の文。

       「尻に松が生えた人をまだ見たことはないが、松が生えたら歩くことも
     座ることもできなくなる。」

      と大マジメにコメントする投稿人。この冷静さがたまらんな。しかも、「まだ見たことはない
      」って。一生見ることはないと思うが。
       その上、その話を以前に親類の子がしたので、すかさず投稿人が庭の松を指差して、

       「あの松は誰の尻に生えていたのだろうか。」と言うと、あきれて黙って
     しまった。

      いいボケをかますなあ、投稿人。その親類の子もここでツッコんでやらなければ、せっか
      くのボケが浮いてしまったではないか。しかも、この投稿、半分が「松」と「尻」の話題だし。

       そして、話題は自然に最近の国会をさりげなく例にとり、「うそをついた人の尻に松が実
      際に生えたらいいのに」とまとめている。(そんなことになったら尻に松が生えていない人
      の方が少なくなるぞ、という問題はおいておく。)
       そして、ラスト。

       「罪のないうそをつくのはエープリルフールだけでよい。」

      ???。今まで投稿人が例に挙げたのは十分「罪なうそ」だ。そこでなぜいきなり「罪の
      ないうそ」が引き合いに出されるのだろうか。「罪のないウソ」なら、別にエイプリルフール
      だけじゃなくてもいいじゃん。と思う私の方が変か。この場合、話の流れ的にも「こんなう
      そをつくのはエープリルフールだけでよい。」の方がまとまるだろう。
       余談だが、「エープリル」というのもいいな。「ティッシュ」を「テッシュ」、「ディスニー」を
      「デズニー」と言うみたいに。 

     胸襟を開ける友を持ちたい 4/3 69才
   
「親友」について考える投稿人。「八方美人になるな」は高校の恩師から耳にした言
       葉だが、上手に世渡りをと思えば周りに敵をつくらぬよう心がけている自分は「八方美
       人」かも知れないと思うのだそうだ。世話好きで、どこへでも明るく振舞う自分は、ともす
       れば本当の自分ではないのでは、と思え、だからこそ今頃になって「親友」とは、と考
       えてしまうのだと言う。
        最後の方で、        

        「歩んできた道70年、人生末路になると、胸襟を開ける友を一人で
      いい、持つべきとつくづく思うのです。」

        うんうん。そう思う投稿人の気持ちはよく分かる。と思いながら読んでいたら、最後に
       思わぬ一文で締めくくられていた。

        「時すでに遅しではないでしょうか。」

      何という冷静なツッコミなのだろう。思ってもここまでは書けない。この一文だけ人格が
       違うとしか思えないではないか。普通はそう思ってもフォローして書くものな。
        「時すでに遅しかも知れませんが。」とか。
        それを「ないでしょうか。」だもんなあ。まるで解説者のようだ。自分で書いて自分でツッ
       コんでおく。「ちまたにツッコミ」も自給自足の時代がやってきたようである。   

       夫婦ともに笑い健康に生きよう 4/12 74才
       投稿人夫妻は二人合わせて157才だとか。二人で毎週日曜日は分担して掃除をしたり
      して生活を豊かにするように心がけているようだ。特に笑いに関しては、「笑いの種を見出
      して二人で笑うようにしています。」とのこと。その中のエピソードとして、

       「先日も上っ張りを後ろ前に着て、夫の前でポケットティッシュを入れよ
    うとして、夫はすかさず『前後が同じ体型になったのかナ』。腹が立つより
    うなずいてしまいました。」

      一番の問題は、この後ろ前に着たのは故意だったのか、はたまたうっかりだったのか、と
      いうところだろう。しかし、「上っ張り」だろう。最近じゃあまり聞かないが、「上っ張り」ということ
      は、セーターでもシャツでもない、上着だよな。ジャケットとか。うっかり上着を後ろ前に着る
      なんてことがあるのだろうか。
       もしも故意、だとしたら大したもんである。わざと上着を後ろ前に相手に分かるように着て
      、その上「あれ?」とか何とか言いながらポケットを探す投稿人。そして対する夫は「前後
      が同じ体型になったの?」とまたここでボケる。(ちょっとボケ方が足りないが、まあいい。)
      これぞWボケである。
       欲を言えば、もう少し技を磨いて「ノリツッコミ」にして欲しいところなのだが。
       出かける投稿人に、夫が上着を前後ろに着せる。そこで投稿人は手術前の医者になる
      のだ。嫌だなあ、そんな夫婦。

       余談だが、この投稿人も書いてあるが「なったのかナ」のように、語尾をカタカナで書くの
      は個人的に私は苦手だ。ヘンに可愛らしくなりすぎる感じがする。甘えたような語尾を連
      想するのでカユくなってくるのだ。この語尾カタカナの持つ雰囲気を分かった上でわざと
      使うのは面白いとはおもうけど。 

      弟の会社再起見届けたい 4/13 75才
      この投稿、最初から最後まで殆どワケがわからなかった。分かっているのは投稿人本人の
     みで、その本人の思うがままに書いている。まるで個人的な日記のようなのだ。
      とりあえず、内容をツッコミながら順番に箇条書きにしてみる。

       「弟の会社再起は思った以上に時間がかかった。私の浅知恵で協力
     をしたつもりが裏目に出た。」
        (一体どんなアドバイスをしたんだろう。ワクワク)

       「ケアハウスの温情にも限界があり、(中略)何とか養護老人ホームに入
     園ができることになった。」
        (弟の会社は?浅知恵ってナニ?誰が老人ホームに入るのか?本人か?弟なのか?)

       この後、延々と老人ホームでのことが書かれているが、そもそも誰のことを書いているの
      かさっぱり分からないため、内容が頭に入って来ない。とりあえず、中略。

       「次の日の全員集会の意味も分かった。」
       (いやいや、それより全体的なことが分からないんスけど)

       「園長さんからクラブ活動以外に進んで屋根の掃除や草取りをしてく
     ださる方は、ボランティアでしていただいてるなどの話があった。」
      
(??ここで、何となく老人ホームに入ったのは投稿人本人だということは分かってきた
       のだが、「クラブ活動」ということは入居者を連想するが、「進んで屋根の掃除や草取り
       」はボランティアがやっている。つながらんな。クラブ活動の「手伝い」とかなら分かるが
       。

       「昨日も小雨が降り出したので『ありがとう。もうおやめなさい』と心から
     優しい言葉をかけられた。」
      
(誰から?何をやめろと言われたのだ?それに、「ありがとう」はいいとして「もうおやめな
      さい」は心から優しい言葉とも思えないが)

       「その情景を目にし、」
      
(声をかけられたのは投稿人本人だろう。それとも、誰かが(多分ボランティアだろうけど
       )誰かに言葉をかけたのを見ていたとでも言うのか?だとしたら前の文章は本人がかけら
       れた言葉ではなかったということか?)

       「私も弟の再起をこのホームで見届けることを決めた1日でした。」
      
(そうだった。弟の会社の再起の話だったのだな。しかし、再起はしたのではなかったの
       か。書き出しでは『思ったより時間がかかった』とあるのだから、再起をして、それを思い
       返しているのではないのか?)

        以上でほぼ全文である。こんなにワケが分からない投稿は初めてだったな。では、な
       ぜこんな投稿文が掲載されるのだろう。恐らく担当者もおぼろげにしか意味は分かるまい
       。「お年寄り」が「ホーム」に入って「弟」の再起を「祈る」と言う内容だものなあ。載せるしか
       ないってか。ここは欽ちゃんの仮装大賞か。似通ったものはあるが。

       

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